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ブラスばっかりでもいけないのだ の巻

ブラスバンドに対しての情熱が高まらなければ、ブラスの腕が上がらないのは当然です!興味もないのにぐんぐん上達されては”キーッ”って感じですし、まあ、そんなに上手いこといくような世の中でもありませんがね。しかし!ブラスバンドのCDばかり聴いていたり、ブラスバンド関連のこと”だけ”をしていてもダメのような気がしてならないのです。なんというか、限界があるような、ある程度以上は上達が困難なように感じます。

 僕はブラスバンド以外にも、なるべくいろんなジャンルの演奏を、生で聴きに行くようにしているんですが、いろんな感覚を感じ取れるような気分になれて、自分のために役立っていると思います。かくいう僕も、普段はブラスバンドばかり聴いているので、単純に違った音楽に触れるのが新鮮で楽しいというのも大きいんですけどね。

 同じ曲を違う編成で演奏するまたは聴くという楽しみがあると思います。スパークの”オリエント急行”という名曲がありますが、この曲について以前に耳にしたことがあります。これはもともとブラスバンドのために作曲された曲だと思いますが、よく吹奏楽でも演奏されますよね。どっちとも演奏したことがある方も多いのではないでしょうか。そこで、どのように感じるかなんですが、やはり”ブラスバンド版のほうが軽快でさっそうと走る感じが出ていてよい””ブラスのほうがさわやかでパワーも感じる””吹奏楽版では重く、軽快な感じがしないのでいや”など、自分も両方経験したクチなので、そういったプレイヤー達の印象を感じたものでした。がしかし、あるプロプレイヤーの話でこのようなのがあったのが印象的でした。”僕はあの曲ではブラスバンド版は軽快でさっそうとした感じで好きなんだけど、吹奏楽版も好きなんだよね、重機関車が走っている感じがして、味があっていいんだよ”ということでした。

 なるほど、あの曲に対する偏見みたいなものが、知らないうちにできていたかなあと思いました。と同時に、ブラスでないほうでも楽しめていなかった自分の幼さに情けないというかもったいない気分にさせられました。この曲はこんな風である!とか、こんな風に演奏できてないとダメだとか、良い音楽の追求を怠っているのとは違うんですが、井上流音楽で最も重要視されている”イメージ力”が貧困になっていて、柔軟で多彩であるべきの音楽心が、思い込みや見かけの良さや他人の音楽表現にとらわれ過ぎているのかなあとか思って、ハッとさせられました。音楽でなくとも、仕事でもどんなものでも、いろんな楽しさを見つけていかねば面白くないですものね。

 ブラスが上手くなるには、また、自分の楽器演奏が上手くなるには、やはりそればかりではダメかなという部分があります。もちろん、熱心で一途に努力を重ね、レッスンを重ねていけば上手くなるだろうし、そういう頑張っている人は上手くなるべきと思う。でも、一般的な社会人的に見ると、そんなに練習ばかりする余裕も無いし、ある程度上達できているから、もっといろんな角度から探索し(特に日常的に触れることから)、なにより人生のなかで楽しんでやっていければ長く楽しんで続けていけると思うんです。中には、もうブラスバンドが最大の趣味になっている人もいるかと思いますが、その他のいろんなことにも目や耳を傾けると面白いことが見つかるでしょうし、いろんなことに結びついて楽しみがふえると思いますよ。ただ、注意なのは、みなさんそれぞれに、自分の中で音楽が占めているウエイトの大きさとか、志(こころざし)次第で大きく違ってくると思いますので、アマチュアで生涯学習的な立場の人が多いと勝手に思うのでそれを踏まえてみました。

 僕が今いちばん興味があるのは、実は劇や踊りを伴った音楽を見て聴くことなんですが、最大の希望としては、外国へ行って(できればイギリス)外人のブラスバンドを聴いてみたい!!CDぐらいでしか耳にしたことがないけど、それにしても奴等はスゴイ演奏をする!激ウマ以外にも、すごいプリプリな音だったりして”日本人にはない”サウンドや雰囲気、さらには文化や風土や習慣などの違いを感じてワクワクしませんか?それから、僕の性格的な共通点として、”熱く燃え上がる”瞬間があることが重要と思います。歌劇とかでもドラマティックに構成されているし、ブラスでは曲は全国共通ですからいわずもがなですね。自分らの演奏だとバテたりできなかったりの問題がキツイけど、スゴイ外人さん達はものすごいパワフルですもんね。”来る”とわかっていながらもその演奏を聴くと鳥肌もので、生で実際に聴いたらどんなだろうと期待せずにはいられません。

 少し話がズレましたが、自分の好きで熱中したいこととは少し違った(趣味的な)ことをすることが意外と実際に役立ったりすることがありませんか?例えば、スポーツでもするかとランニングや筋トレを始めたことで体調がすぐれ、楽器を吹く調子もよくなったとか。ギターを始めて、コードのことがわかってきて楽しく音楽が出来るようになってきたとか。オーケストラを聴いてダイナミックなイメージがわいたとか、弦楽器の演奏方法のイメージできて参考になったとか。などなど。自分とすれば、別にそういう効果を期待するわけでもなく、気分転換的な、何気ない気持ちで構えてすればいいと思うんですよ。ただ、知的欲求のような前向きな姿勢は少しくらいないと気づきもしないことがあるので要注意だ!

 こんな田舎でもいろんなチャンスが転がっていることは確かです。やる気さえあれば、近くにチャンスが来るのを待たなくても自ら動いていけると思います。積極的に首都圏へ出向いて演奏会を聴いたりCDを買ったり、夜中にでも練習する人もいますよね。職業でも、閉鎖的な職業柄というのがけっこうあるというのを聞きますし、意外とみんなは狭い世界で生きているのかもしれません。なんにでも手を出すのはかえってオススメできませんが、ほんの少しずつからいろいろ興味を広めていくと、1回しかない人生もいろいろと楽しめるのかもしれないなあと思う今日この頃です。

 僕が最近もらったヒントがあります。最近、トレーニングを始めたいなあと思ていたところ、マラソンの高橋選手の監督(と思う。名前は忘れた)のインタビューを偶然見てたんですが、確かこんなふうに言ってました。”すごいと言われるランナーも最初からすごい走れるわけではない。最初は誰でも同じで、散歩だけでもしようかな、3分だけ走ろうかな、いつもはバスだけど1区間だけ歩こうかな、昨日より1分多く走ろうかな、という感覚でいいんです。とにかく、1歩でも歩こう、走ろうという気になることです”ということでした(と思う、記憶薄め)。僕の場合は一応、これがきっかけとなっているんですが、”楽しむ”とか”長く続ける”とかってこういう小さい炎をずっと灯していくことが大事だなあと感じます。あと、最初の一歩が踏み出せるかですかね。学生時代の部活動ようにずっと続けていける環境にない人が圧倒的に多いでしょうが、自分からからしてみようと思わなければ何も変わらないのは明白です。さあ、重い腰を少しでも軽い腰にしようじゃありませんか!今日は、欲張りな、一気にそのものの本質をゲットしようとする傾向の人が多い現代の世ではありますが、さっきの例のようにささやかに少しずつ、そして継続的にするのが長く楽しめる、好きになっていけるコツかなあと思って自分も実践中であります。

Last modified:2009/06/01 23:05:07
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References:[団長コラム]