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熱い演奏のやり方 の巻

 今回は、完全にプレイヤーとしての感覚で一言。

 いつも僕は、演奏会で”熱い演奏をしたい。その心を観客に届け、ホールのみんなで共感したい”と言っています。この”熱い演奏”を、自分ができているという実感を持ったことはありますか?

 この感覚は、気持ちだけでなんとかなるものではありません。例えば、ブランクが長くあるのに、突然、知り合いの舞台を観てうずうずしてしまっても、その想いをかなえる力がその時点では備わっていないでしょう。ごまかしの効かない、やり直しのきかない真剣勝負の世界では、思ったことを実現するために”下積み”を辛抱強くやっていく必要があるのです。

 例えば、コンテストや演奏会などの区切りとなる目標が終わると、また次の目標に向かうわけですが、次なる目標に向かう前に休憩(インターバル)をとって落ち着くことが必要ですよね。さすがの僕でも、ブラスのことをずっと考えていれば嫌になります。みんなは、一年中ずっと毎日のように楽器を吹いているわけではないでしょうから、何ヶ月あるいは何年もブランクを空けることだって珍しくはないと思います。身近なところで他の人の演奏を聴き、うずうずして楽器を吹くのをを再開する人もいれば、友人(仲間)の呼びかけで再開する人もいますが、どんな理由であれ、久々に楽器を吹く日はちょっとワクワクして楽しみな気持ちになるものですよね。

 久々に楽器を吹いてみれば、違う自分が吹いているような違和感(個人によって差は激大で)がかえって嬉しくもあり、合奏することになっても”全然できないや〜”と笑ってしまうハズです。この”やっぱり楽器吹けるのっていいな感”がでてくるのの他に、”ちょっと悔しい感”も一緒になってでてくるのではないでしょうか?自分のイメージは全盛期の自分で、もしくはCDなどで普段聴いているレベルの高い音楽ですから、こんなへたっぴいな自分では悔しい!自分はもっとできる、だらしないぞ自分よ!と思うところもあるのではないでしょうか。また始めようっていう時にはこんな気持ちも必要になるのかもしれませんけどね。

 今回、重要なのは”充実した自分”の姿になるということです。大人のこういう久々があたりまえの状況になってくると、感性やイメージ力などの、精神的に重要となってくる部分はむしろ成長しているものですが(練習ではダメだなと思っていても本番のデキが最高にいいバンドは数多い(笑))、物理的、肉体的な部分が衰えてきており、追いつかなくなってきます。”ここでGの音のffを豊かに響かせるとカッコええ!”と思っても、ffのパンチ力はなく音は細い。あろうことか、GではなくEの音なんか出ちゃったりして、練習といえども恥ずかしくなってしまいます(よくある現象)。仲間には、寝る前にその場面を思い出され、思い出し笑いなんかくらっちゃったりしてるんですよ(プププ)。

 しかーし、現役だった自分、もしくはより成長している自分の姿を取り戻すまでの道程の長いこと!みなさん、想像してみてください、”なまった自分”が”充実して音を出せている自分”になるまでの行程を。  今、”ゲーッ、ロングトーンはあんだけはせんなんし、リップスラーも全然ダメだし。低い音はスカスカだったし・・、かなりかかりそうやなあ”と、その久々に楽器を吹いた日の感覚でだいたいのことがわかり、自分の状態を把握できるようであればOKバッチリです。自分のことですからね。ただ、それを実行できるかどうかが大問題なのです。自分で自分を鍛えるのですから、これほど頑張らなくては感を出してやらなければいけないことはないでしょう。甘えたり妥協してしまうのも自分ですから、楽することも簡単です。

 ですが、それでは自分の思い描く自分に到達できないし、中途半端なデキと気持ちで大事な瞬間を迎えることにもなります。こんな風になってしまう人は結構多いんじゃないかと思い、そのへんはとても残念に思います。大人のサークルとしては、このへんは僕が口出ししてとやかく言うことでもないので、みなさん自分なりに頑張ってくださいね。当然、僕だって精一杯頑張りますよ!いろんな人がラフィネにいますが、目標に向かって、みんな自分を高めていけている人ばかりですので心配はしていませんが(本当は心配だけど)。 ”コソ練”者も、結構いるみたいですし。

 充実した自分を測る目安として”心・技・体”という言葉があります。相撲などの武道なんかでよく聞かれる言葉かと思います。”心”は、精神的な充実ができているかということ。取り組んでいるものに対する心構えや自分に対する厳しさ、納得のいく練習内容ができているか、などが自信となり、精神的に満足できてきて安定感も抜群になってきます。”技”は日頃の練習の成果が表れることです。自分のイメージどおりに音が出せるか、指は動くか、唇は柔軟か、など一目瞭然に出るため、充実感の目安となりやすいでしょう。”体”はそのまま。体が”できてくる”などの言い方をしますが、動きたいように体が動く、体がしっかりとついてくる感じです。徐々に体が戦闘態勢に入ってくる感じで、馴れないスポーツをして筋肉痛になるようなヤワい状態ではありません。と、いろいろ考えてみましたが、もうひとつ大切なのは一つひとつの要素だけではなく、心・技・体のバランスがとれているかどうかです。全部つながっているということなんです。例えば”心”の部分だけ突出するなんてことは考えられないことです。自分の充実ぶりはあらゆる部分で高いレベルでバランスよくできていることで表れるものだと思います。ここまでくれば”ノッている自分”を実感できているかもしれません。

 自分が充実している状態のときは、出る音にムダがなく、唇の振動が充実しているというか、ぎゅっと締まった中身の詰まった音が出せていますよね。音もイメージどおり出せるし、ハズすこともない。音量も出るし、ハイトーンも限界までイケるし、ロートーンでもいい音が出せる。こうなってくると、曲作りにも専念でき、いろんな余裕がでてきますね。この”精神的余裕”がでてくることが、熱い演奏をするうえでの自分の最大の味方となると言えるでしょう。僕的感覚で言えば、どんなに懸命にffを吹いていても(本番中でも)、大きな満足のいく音を出しながら、一杯いっぱいになりながらも、”頭が冷静”なんです。曲を盛り上げようとする自分の体とは別に、冷静な判断ができているんです。周りもよく見えていますし、音程の管理や先々のフレーズへの対応などが自然とできるのです。これは快感ですよ!ああ、自分は今いい状態だなあ!と実感できます。

 ”熱い”演奏をするためにどうあるべきか!は個人個人によって少しずつ違います。”充実した自分”を達成できれば、少なくとも満足のいく演奏会ができると思います。逆に、充実した自分でなければ熱い演奏は出来きれないと思います。自分で精一杯になってしまって、それどころではないでしょうから。本番がそれほど甘くはないのは、みんなも分かっていると思います。やはり”体はホットに、頭はクールに”いくことが、練習の成果も発揮できるだろうし、客観的にも、僕等の意図がわかりやすく聴きやすく伝えられるのかなあと思います。少々月並みな感じですが、やはり、自分の充実と全員による曲への取り組み・理解・思い入れなどが、本番の舞台で素晴らしいものとなって発揮されるのではないでしょうか。これらには結構な時間がかかり、というか時間をかけねばならないことで、これまたしんどいですが、地味なことほど大切とも言うし、肝心なところは簡単に会得できないようになっているんですよ。幸いなことに、一緒に頑張る仲間がたくさんいますので、苦労を分かち合いながらコツコツと頑張りましょうぜ!これは団体戦のいいところですね!

 みなさんの、”自分が充実しているとわかる瞬間”というのはどんなですか?これから演奏会に向けて、みんながそれぞれ満足のいくデキに仕上がるように、しんどいけれども頑張っていきたいところですね!

Last modified:2009/06/01 23:04:41
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References:[団長コラム]