Create  FrontPage  Index  Search  Changes  Login

分かっていたほうが楽しい!!のか?の巻(前編)

指導者・指揮者の面から見て思うことを一言。  分かっていたほうが楽しい!のは当然、と思う感覚が最初に来るような気がします。ですが、知らないゆえに楽しく過ごせたという経験を、みなさん一度くらいはしたことがあるんじゃないでしょうか。

 例えば、野球愛好会で楽しくやっていた高校生たちが、なんらかのきっかけを掴んで「甲子園を目指そう!」と闘志に火がついた若者たちイメージしてみてください。自分達がめきめき上達しているのがわかっていくと、野球をやっていくことが楽しくてしょうがなくなると思います。これは、楽器吹きにも近い感覚で分かるのではないでしょうか。最初は音を出すことさえおぼつかなく、思いどおりにいかずイライラするでしょうが、コツをつかんで少しずつ出来るようになってくると楽しいのはもちろん、他の人と合わせたりする喜びを味わってしまったら、もう、楽しくてしょうがなくなって、最初のうちはこうやって音楽にハマッていくんですよね。ただ、それっていうのはまだスタートラインに近い位置にいるというか、自分が白紙の状態に近いものであることも大きいと思われるのです。

 野球にしろ、音楽にしろ技術を伴ったものは、できるようになると楽しいものです。全くできない”0(ゼロ)”の状態からぐーんぐん伸びていけば上達が顕著であり、楽しさや上達欲求などがうまく絡んでさらに好循環ができやすいように思います、もちろん個人差はありますが。ですが、中級、上級にステップアップするのはそうたやすいことではありません。やる気があり、心構えができていれば上達は間違いないとは思いますが、時間、つまり経験を必要とするのです。これがここでは大きなポイントになります。

 甲子園を目指す若者たちは、必ずどこかでいくつかの越えなければいけない壁にぶちあたることになるでしょう。野球の試合は”勝負”ごとですから、駆け引きがありますし、自分の向上が全てではないのです。ある程度まではめきめき上達して面白くなり、自然と夢中になって打ち込む”勢い”でこなしていけると思います。しかし、上達してさらに優れたものを目指すために自分を冷静に客観的に見直して分析し、他の人と比べたり、修正したり改良したり、黙々と反復練習をこなしたり、また相手に勝つための研究をするなどせねばなりません。

 その段階に来て壁にぶち当たったとき、他の人とあまりの力量差に愕然としてしまったり、自分のしていることだけでは限界が見えてショックを受けたりして、当初のやる気が失せてしまうかもしれません。また、チームの中でポジション争いなんかがあるだろうし、ささいなことからチーム内で不和ができてしまうかもしれません。

 さあ、どうしましょうか!愛好会だったころは、楽しく、仲間とも仲良く、ひどい練習もなく毎日を過ごせてきたのです。やっぱり、愛好会のようにやっていたほうがよいんでしょうかね?試合で勝てるようにならなくても、ある程度の才能だけで、野球を十分楽しめるのではないでしょうかね?音楽団体の活動(部活動なんかだとイメージしやすいかも)でも同様のことがよくある問題で、こういう経験をしてきた人もけっこういるでしょう。

 実のところ”全部勝つ”などとは言っても無理な話で、結局は勝つにしろ負けるにしろ、満足して、納得して、充実して終わりたいんですよね。一人ひとり想いは違えども、それが目的なんじゃないでしょうか。その満足感、充実感をよりいっそう高いものにするために頑張っているとも言えるし、それが真の”楽しい”ことなんだと思います。その後でまた続けていくとかやめるとかなどの問題は別として、とりあえず”今”燃え尽きたい、最高の瞬間を感じたい、という気持ちだと思うのです。僕自身もこういう気持ちの連続です。

Last modified:2009/06/01 22:59:05
Keyword(s):
References:[団長コラム]