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ラフィネブラスバンド - 分かっていたほうが楽しい!!のか?の巻(後編) Diff

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音楽を含め、勝負事に共通した大切な要素に”本番は1度だけ”という鉄則があります。日頃からどんなに上手くても本番でその実力が発揮されなければダメなのです。これは音楽家や勝負師としてのプライドとして大事なことです。その日がいつもの調子とも限らないし、当日ならではのアクシデントに動揺してしまうかもしれません(甲子園の例で言えば、これが試合での”相手”でしょうか)。

 が、そんなことを言い訳にしてはいけないですよね(後日の笑い話にしましょう)、観客はみんな同じものとして聴いていますから、悪いなりに一流の(つもりの)演奏をできるよう踏ん張らなければなりません。そのために、謙虚な気持ちと、これまで努力を重ねてきた”自分に対する信頼感”ともいえる自信をもって、また日頃からこういう心構えで、真摯に取り組む必要があると思うのです。中途半端な心構えでは、自分にかかるプレッシャーによって肝心なところで負けてしまうでしょう(勝負の神様は謙虚な者を好むという話です)。そして悔しい思いをすることになります。しかし悔しさの度合いはどれだけ頑張ったかによってそれぞれ違うし、次の成功のための”糧”として繋がっているので、どんな悔しい思いをしてきたかというのはその人の強さともいえるでしょう。舞台で実力を発揮できる上手い人ほど、本当に精神的に強く、いろんな経験を積んでいるだろうし、自分を鍛えられていると思います。

 しかし実は、本番の舞台が1度だけであることこそ音楽の醍醐味で、至福の瞬間の根幹となっているといえます。例えば、メインの曲にみんなですごく想いがこもっているとして、その曲が7分くらいの曲だったとします。自分の役割だけ見れば、実質的演奏時間はもっと短い時間になるでしょう。そのたった何分かを、”上手いことなんとかしのぐ”なんてことはできることではないのです。その7分間にされる演奏というのは何ヶ月、何年と自分が培ってきた音楽のエキスが表れていて、自分だけでなく、僕らの団体が一人の人間によって演奏されているかのように、演奏者の感覚が一体となっているかとか、どういう表情を出したいのか、自分の言葉として表せているかなど、その全てが観客に伝わります。そのたった数分の演奏のため、たった1度の演奏のために、幾月も頑張りつづけ、その長い間の頑張りがたった数分間に収束されて表れるのです。本番の舞台での練習の成果が発揮されるということは、一瞬だけフレーズを上手くさばく能力とか、運良く音を当てることではなく、これまでにした苦しい経験や充実した経験をした自分の集大成が表されるものと思います、少しオオゲサですが。そんなここ一番で、イメージどおりできたり、成功を収めれれば、こんなに嬉しいことはないではありませんか!この感激はみんなもどこかで味わっているのではないでしょうか?そしてこの喜びが満足感となって、じわじわと実感がきます。苦労の度合いによっては一生のものとして自分に残ります。喜びを分かち合う仲間がいればなおさらのことです!

 これを僕的に例えれば、ドライブに行くようなものです。車とは自分自身のこと。これまで培った一つひとつが車のパーツであり、上手く出来ている部分も、見栄えが悪いので隠している部分もあり、開き直ってダメな部分をさらけ出していることも、それぞれにあると思います。外観なども個性が出ていて、コンパクトにキレイにまとまったものから、大型車だけど内装もキレイとかで、まさに十人十色の車です。その愛車に、音楽魂にのっとった自分が”今日の調子はどうかな?”とか言いつつ、ドライブに出かける気分で本番が始まる感じです。車は自分自身ですから、もう替えたりできないし、ごまかしもききません。自分は自分以上でも以下でもなく、あとは舞台でどうなるのかだけなのです。こう考えれば、本番では開き直って楽しんでやる!としたほうが”おトク”でしょ。

 もし、挫折を味わったとしても、そこで壁を乗り越えていけるかどうかが鍵となるんです。不和だって、解決すれば”雨降って地固まる”となりかえって前より関係が良くなることも、よくあることではないでしょうか!

 ”あきらめたら、そこで試合終了だよ(by安西先生)”なのですよ!大事なのは自分との闘い、我慢強く頑張ること、困難に立ち向かっていく根性がどれだけあるかということで、これを土台とした練習過程が本番での一瞬として表れるような気がします。前に、助っ人(チームに対する思いがそれほどない)だと満足しきれないだろうと書いた気持ちと似ているかもしれないです。

 このことを考えれば、何も分からないがいい演奏ができて”いいプレイだった!””素晴らしかった!”と言われるよりも、良い部分も悪い部分も体験のもとに知って、苦しいけれども苦労を乗り越えて頑張り、頑張りとおしたうえで温かい言葉をいただいたほうが喜びもひとしおではないかと思います。この嬉しい気持ちは、苦労したからこそこみあげる気持ちではないでしょうか。また、苦労したことは必ず後で役立ちます。心の支えとして自信にもなるし、別の新しいことを学んだときに結びついたりして”あーーん、あれはここの理論のことだったのか!”とか、さらに自分の開拓になることもあります。それもまた楽しみのひとつです。

 いろいろ知るということは、必要なことを知るだけではなく、そのための大変さや苦労を知り、経験し、マスターするために自分を鍛え励むことを含んでいます。大事なのはもちろん、必要なことを知りマスターすることですが”マスターする”ことを考えれば、それをとりまく、あらゆることを理解する必要があると思うのです。

 今、自分たちは大人になって、そんなに趣味である音楽活動にそれほど熱中しきれないのもよくわかりますが、結局、どうなるのかは自分次第であることを心に入れてもらいたいです。僕だって、今これほどに頑張れるのはこんな気持ちであり、他に一緒になってやってくれる仲間がいるからだと思います。以前に、すごく忙しい仕事をしている人がいて、仕事を終えた夜の1時とか2時頃に少しだけやっとかないと、とか言って頑張っている人がいて、タフだなあと思って”気合入ってますね”と話していたら、”時間は自分で作るものだ。やりたいと思ったことは、自分の状況に合わせてどうにだってできるんだよ”と言ってくれました。僕はこんなプロ魂にすごく惹かれました、結局自分次第なんだなあと。幸いにも、僕たちは多くの仲間がいますので、不安さより楽しさ先行で、少しずつ長くやっていける良い環境にあると思います。中途半端だなあと思っている方、もっと頑張ってみないかい?

 最近、真面目なコラムばかりになって、更新期間も長いので、もっとラクにいこうっっ・・・と、出来上がって思った。