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ある先輩の教え その2

しかし、僕的見解ではコンクールや甲子園などのようなものが対象になるのだろうと思うのですよ(短期間限定で完全燃焼の方々であり、想像以上にパワフル)。一般団体で僕らのように長いスパンで考えている場合は、あてはまらない場合もありだと思いますので注意!

 それぞれを吟味検証してみようと思いますが、まず”お金”。これはどうなんでしょう?目的による?例えば、演奏会にしてもプロを招くとか、特殊楽器をレンタルするとか、楽譜が異様に高いとかで特別にお金がかかります。定期的にプロを招いたレッスンなどをすれば、どれだけでもお金がかかってしまうけど、それはそれで上手い団体になっていける作戦だし、みんな納得したお金の使い方でしょう。

 僕は商売家の育ちなので変な感覚かもしれませんが、”お金をちゃんと使う”ことは重要だと思います、目的を達成するためにね。お金は一種の心の余裕で、”大人のサークル”としては、負担になりすぎないよう、また、目的や方針に合わせて楽しめるように考えてお金を使おう!と思うのです。無いのはツライしね、借りてばっかりでは情けないバンドですからね。あ、でも富山のブラスバンド(TSB)とは仲良し(勝手に)なのでなんでもよく借りてマス。浪費家でも×、ケチケチでも×、ということで。

 そして”人数”、ムーーーン確かに。良質の人材がたくさん集まれば、楽しい光景も目に浮かびますし、逆にさびしーかったら、どうしても穴が空いてしまうし、多少なりともつまらなさは出ますよね(ゼイタクか!)。

 僕としては、最近ではこの要素こそ大事かなと思うのです。やはり、常時ある程度の人数でできたほうが安定した活動となるし、なにより、音楽やる楽しさのひとつである”複数の人と合奏する”ことの満足感が得られ、「やっぱり楽器吹くのっていいよね」となりますよね、みんな揃っているとやっぱ面白いし。この感覚はたぶんみんなが実感し経験している要素でしょう。みんなこういう”面白さ”に惹かれているからこそ、一般団体に参加して楽器を続けているんではないでしょうか。これは音楽やってる者だけにわかる”快感”ですよね!

 ということで、人数が多いと気分的にも”好循環”に入れるんだけど、少ないと”悪循環”になる・・・とは一概にはならないんですよ!!これは井上的に大切なコトなんです。確かに良い状態ではないんですけどね。

 例えば、参加する人が少ない(シーズンオフ期に減少する)なら”練習ナシ”にすればいいという考えが当然でてきます。たしかに、練習場の確保や諸経費をかけて、ほとんど練習にならない時間をとって集まることは、非効率的極まりない行為に感じるハズです。実際僕もそう思います(総会でも話し合いになりました)。では、オフ期に集まることにどんな意味があるのでしょうか?もしよかったら、この先にある僕の考えを見る前に少し考えてみてください。共感できたらこれ幸せ。

 いかにも悪い点を補う、とても大切で魅力的な点はいくつかあります。例えば、いくつかの一般団体で多く活躍している人も多いですが、そういう方はある時、吹くのがイヤになるくらいの時もありますよね。ですが、楽器を吹く場所さえがない方もまたいるわけで、ラフィネがその場である人にとっては続ける意味が大いにあるでしょう。芸術村などは1人でも利用できますが、目的も無く1人でただ練習し続けていくことは困難なことで、この場があることは大事。オフをはさんですぐに演奏会の体制になるというのはしんどい人もいるでしょうし、演奏会などはみんなで達成したいので、ペースが遅い人にも速い人にも対応できると思います。技術がやや劣る人は、早めに曲やブラスの雰囲気になじんでおくことも重要で、それでも上手い人よりデキも悪くスタミナも足りないかもしれないけど、きっとよい満足感を得られるでしょう。少しずつ長く楽器を続けようと思う人、仕事が忙しかったりで定期的に参加できない人、恋に破れて情緒不安定な時期などいろんなことがある人生の中で、せっかく買った高い楽器、磨いた技術、物置で泣かせないようにちょっとずつでも続けていきたいじゃありませんか。

 これは、個人的見解が大なのですが、オフができてしまうと、演奏会だけ(のため)の団体になる可能性が高くありませんか?大多数のメンバーが同じ気持ちを持っていればコトはうまくいきますが、いわゆる”烏合の衆”になってしまうのが恐いと思いました。イベント中心の活動であれば、単発で助っ人を呼びやすいし、割り切れているのでパパッと終わりますのでお手軽です。全く悪い面が見当たりませんがやり方次第ではツマラナイものになってしまいます。その点について少々。

 まず、満足感が味わえるのか疑問です。隣に知らない人がいても知らない人のまま演奏会が終わってしまうのは楽器を吹きたい自分を慰めているだけのようなもので、ちょいとツライところがありよね。ミスしないよう、うまいことせんなん、になるでしょう。周りが知らない人ばかりでは真に快感が味わえないように思えます。

 コンクールや演奏会のみならず、大事なのは、観客がシビれるような、ワクワクするような演奏をやり遂げること。そのために指揮者や演奏者全てが一体となり、どういう雰囲気、表現・・・をかもしだしているのか(これを僕は、その団体の”魂”と表現しますが)コレが音楽のよさの根っこのところではないでしょうか。楽譜どおりにキシッとあわせるレベルを超越し、1つひとつの音符の流れそのものが表現であって、ちょっと考えてみれば、五線の楽譜だって作曲者にとっての表現方法のひとつであるわけで、それを表現するためには音符の枠にとらわれて演奏する必要はないのではないかとさえ思えてしまいます。そういう”魂”のような部分の表現をいかにするのか、どう聴かせ楽しませてくれるのかを観客は期待しているし、そういった演奏をして皆と喜びを分かち合うことが、心地よい吹奏感とともに満足感を味わえるのことになるのではないでしょうか?

 戻りまして、他にはデキが不安定というのがあります。練習のたびにメンバーがかわり、何度も同じ指示を受けているようではとても一体感のある演奏はできないですよね。おそらく高いレベルの集団が多いのでうまくごまかせますが、山中君のいう”ファミリーな”演奏ができるでしょうか?大人の場合、本番のデキがイチバンいい、ということもありますので以外にもよい演奏になるのですが。ですから、この”ファミリーな”という観点から見てみれば、デキを追求した演奏を目指すというよりは、一体感のある、自分たちも納得し満足できる演奏ができないんじゃないの?という懸念があるのです。

 僕らも、半オフ期に上手くなる努力をしているかとなれば・・・できていないです!!ですが、我々がひとつの集まりであり、同一ベクトルを持って共通の時を過ごしていることを自覚していくことで(多少の想いの違いはありますが少しずつ)、はっきりいって気分的なものかもしれませんが、このラフィネブラスバンドの”魂”を灯し続けていきたいなあと思っています。これもけっこう根気(根性)がいるのよ。

 「ひとつの団体としてあるからには上手くなくてはいけないっ!」という考えもないこともないのですが、技 術的にたいへん上手い演奏、というよりは、アマチュアでも、それほど技術的に上手くなくても聴き手に直接伝 わる”何か”はファミリーでないと出来難いだろうと思います。というわけで、僕の言う「人数」とは単なる頭 数を揃えることではないことが分かってもらえると思います。少しずつ実現させたいです。長すぎでした。

つづく

Last modified:2009/06/01 13:32:25
Keyword(s):
References:[団長コラム]